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24
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365
Days
50
Years
酪農は、昼夜を問わず牛の健康管理や搾乳、出産に向き合う仕事です。24時間休むことなく牛に向き合う酪農家の皆様の努力によって、私たちの食卓に新鮮な乳製品が届けられています。私たちは、牛舎の安定的な稼働に貢献し、牛の健康と酪農家の皆様の安心につながる製品を提供するため、長年培った加工技術や設計技術を活かし、できる限り故障を減らし、安心してお使いいただける製品づくりに取り組んでいます。また、販売店と連携し、スムーズなサポート体制を整えることで、酪農家の皆様が安心して農業運営を続けられるよう支えていきます。これからも、強固な製品提供と安定したメンテナンスを通じて、酪農業を支援してまいります。
気温がマイナス20度以下になることも珍しくない、過酷な北海道の冬。この極寒の環境は、様々な機械の安定稼働を阻み、機械が正常に動作しないリスクを高めていきます。また、積雪や路面凍結による作業効率の低下や、牛の体調管理の難しさも加わる中、酪農家の皆さまは厳しい条件の中で牛の健康と生産性の維持に向き合っています。そのような中で私たちは、冬場の過酷なコンディションでも故障せず、安定して稼働する機械の開発と改良に取り組んできました。どんな環境でも常に安心感を持って酪農に向きあっていただけるよう、強固、剛健な機械製造を通じ、酪農王国北海道と、酪農家の皆様をサポートします。
私たちのポリシーは、常に安定して稼働する機械設備の提供を通じ、酪農家の皆様の安心と酪農経営に寄与することですが、その目線は50年先を向いています。今日の1日、今年1年はもちろん、世代を超えて50年使い続けることができる機械を作る。3代経っても1年目と変わらず稼働し続ける機械を目指すことも私たちの重要なポリシーです。そのために、メンテナンスやサポート部品の供給体制など、将来を見据えたサービスの改善を常に続けています。50年後の福地工業の機械稼働のイメージを常に持ちながら、酪農家の皆様と向き合っています。
弊社は1947年の創業以来、半世紀以上の歴史を持つ北海道の酪農機械設備製造メーカーとして、社是である「創意・工夫・挑戦」を胸に刻み、ものづくりに取り組んでまいりました。この長い年月の中で、私たちは一次産業の皆様と共に歩み、北海道の豊かな農業の発展を支えるパートナーとして尽力してまいりました。私たちの社是「創意・工夫・挑戦」は、単なる言葉ではなく、日々の行動指針として深く根付いています。「創意」とは、常に新しいアイデアを生み出し、時代に即した価値を創造すること。酪農の現場が求めるニーズを先取りし、革新的な機械設備を提案する姿勢を意味します。「工夫」は、限られた資源や厳しい環境の中でも、最適な解決策を見出す知恵と努力を表します。北海道の寒冷な気候や過酷な条件に耐えうる製品を生み出すため、細部にまでこだわり抜く精神です。
そして「挑戦」は、未知の分野や困難な課題に果敢に立ち向かい、失敗を恐れず前進する勇気を象徴しています。これら三つの柱が、福地工業の技術力と信頼の基盤を築いてきました。私たちは厳しい自然環境に適応する耐久性のある製品作りや、効率化を追求した革新的なソリューションの開発に日々挑戦しております。現代の酪農業界が直面する労働力不足や環境負荷低減といった課題に対し、これまで培った経験と技術力を活かし、新たな価値を創造してまいります。これからも、地域に根ざした企業として、北海道を支える皆様と共に未来を切り拓き、社会に貢献する企業であり続けます。引き続きのご支援とご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。
畜舎用糞尿処理製品牛舎用設備製品その他酪農用製品
鉄製部品の特注製造、設計ステンレス製品の特注製造、設計
建設機械レンタル事業
建設機械販売・修理・レンタルトラッククレーン架装販売・修理等
昭和21年 9月
福地弘が福地電機工業所を個人創業
昭和34年10月
株式会社福地工業に組織変更
昭和40年10月
福地建設機械販売株式会社を設立
昭和42年11月
福地農機株式会社を設立
昭和46年11月
福地機械工業株式会社を札幌市に設立
昭和55年 8月
ハピーランド農機株式会社を芽室町に設立
平成 2年10月
福地農機株式会社を合併
平成 3年10月
福地建設機械販売株式会社を合併
平成18年 5月
ハピーランド農機株式会社を合併
現在に至る
1946〜
昭和21年
創業者 福地弘による会社沿革
当社の創業は昭和21年であり林業機械、建設機械、農業機械の各メーカー・商社の特約店として販売サービス業務を行い地域経済の発展に寄与して参りました。
創業当時(昭和30年頃)
昭和38年
昭和38年アメリカ合衆国へ視察旅行に行った時のことです、昭和の初期に建設されたフーバーダムの大型建設機械による工事の様子を写した記録映画を見せられて、その機械の大きさと高性能には本当に驚きました。昭和38年当時でも日本では未だ大型建設機械は製造されておらず、中小型の建設機械しか作ることができませんでした。
そのころメーカーの保証期間は1年間でありクレーム故障は年間数回以上発生し販売サービスをする業者としては大変な苦労をさせられていました。日米の技術力の格差の大きさをつくづく思い知らされました。
栄町社屋前(昭和35年頃)
昭和40年
しかし昭和40年代に入ると日本の機械技術も日進月歩の発達を遂げ物作り大国への道を歩み始めました。当時当社がディーラーとして取り扱っていた主な商品は次のようなものでした。
NTKブルドーザー、トラクター、マッカラーチェンソー、ジョンディアホイールトラクター、ユアサバッテリー、その他輸入農業機械、道内製農業機械
栄町社屋(昭和40年頃)
昭和48年
昭和48年諸般の事情によりディーラー業務を止めざるを得なくなり、当社の技術力・サービス力を生かすために農業機械の製造を始めることを決意しました。最初に手がけたのが砕土用ロータリーハローと牛舎に設置されるバーンクリーナーでした。その頃、建設機械の製造から撤退していた取引先メーカー技術陣の絶大なご協力と技術指導により当社が初めて製造した農業機械が、輸入品と比較しても性能・耐久性において優れており新規事業参入に成功することができました。
昭和50年
昭和50年代に開発製造した農業機械、施設機械は多岐にわたりました。
ポテトプランター、ポテトハーベスター、いも切り君、テッダー、レーキ、ビートハーベスター断熱気密スチールサイロ、トレンチャー、オニオンピッカー、トップアンローダー、給餌機等
上記製品開発の中で特に印象に残っているのは帯広畜産大学、十勝農業試験場、北見工業大学のご指導を頂きながら開発した断熱気密スチールサイロです。福地工業は開発に失敗して会社をつぶすんではないかと揶揄される中、開発に成功した時の喜びは忘れられません。
昭和60年〜現在へ
昭和60年代以降、現在までの主力商品は牛舎関連が主で、以下の通りです。
フリーストール牛舎、農舎、フィードウオーター、ダンプボックス、バーンスクレーパー、スラリータンカー、クラウドゲート、コンポストシステム、ストール
北見市西三輪(令和元年頃)
商 号
株式会社福地工業
代表取締役社長
福地 貴弘
本社住所
〒090-0838 北海道北見市西三輪4丁目712番地
工場住所
〒090-0838 北海道北見市西三輪3丁目735番地
TEL
0157-36-5714
建機事業部はこちら0157-36-5711
FAX
0157-36-5712
創 業
昭和21年9月1日
法人設立
昭和34年10月1日
資本金
4,850万円
従業員数
43名(2025年3月現在)
事業内容
・農林漁業機械設備製造・修理・鉄骨建物・農業用施設建築施工以下は建機事業部・建設機械販売・修理・レンタル・トラッククレーン架装販売・修理